パリダカ、アジパシ、PWRCとステージこそ違うものの、日本を代表するラリードライバー3人がそろってステージに立つことになりました。
2005年にPWRCで日本人初のワールドチャンピオンに輝いたスバルの新井敏弘選手によるトークが一段落すると、増岡選手、田口選手によるパリダカの話でいっそうの盛り上がりをみせることに。2007年1月、増岡選手はドライバーとしてパジェロでパリダカに参戦、田口選手はそのサポートカーとして参戦したデリカD:5のドライバーを担当しているのです。
「過酷とは聞いていましたが、あれほどとは・・・」と田口選手。「普通のラリーと違ってギャラリーはいませんし、レッキもありませんからね、すごく孤独なんですよ」増岡選手が説明を続けます。「本戦では8色分の視力矯正めがねを用意していて、天候に合わせて色を選んでいるんです。そのメガネをかけての視力はなんと2.5! 700m先の標識だって見えちゃうんです」
パリダカ初体験の田口選手は、本戦以外のところでも驚きの連続だった様子。「ビバークといって休むときにはテント生活となるんですが、外は砂漠ですからね、とにかく砂嵐がすごい。朝になると砂を被っている状態で・・・!」と興奮して話す田口選手の横で、「テントの中にさそりや毒ヘビがいたことだってあるんだよ!」と笑う増岡選手。さすがパリダカのベテラン。まったく動じない風格で、ギャップに驚く田口選手とともに、ステージ前の観客を笑いに包んでいたのでした。
増岡 浩日本を代表するダカール・ラリーのドライバー(通称:パリダカ)のひとり。1982年に株式会社ラリーアートに入社。1979年からオフロードレースに出場し、1987年からダカール・ラリーに参戦。2002年と2003年のパリダカでは篠塚建次郎以来日本人ふたり目の総合優勝を果たした。記憶に新しい2007年1月6日スターのパリダカでは、パジェロエボリューション(2007年モデル)で参戦し、度重なるパンクやトラブルに上位進出を阻まれたものの、後半戦は三菱自動車チームを支えるべくチームメイトをサポートしながら走行。総合5位でフィニッシュした。2003年から2006年にかけて発売された、3代目パジェロ(ロング)の特別仕様車「アクティブフィールドエディション」は、本人が開発に参加し、駆動系を中心にチューニングを行ったものだ。
田口勝彦1994年ニュージーランドラリーにグループNの三菱ランサーでラリーデビュー。翌1995年に本格的なラリー活動のため、オーストラリアに移住。1996年~1998年、3年連続マレーシアラリー選手権グループNチャンピオンに輝く。1998年APRCマレーシアラリーでグループN優勝。1999年APRCで総合及びグループNシリーズチャンピオンのダブルタイトルを獲得。2002年4月日本に帰国し、ラリーアート社員となる。2003年はAPRCにスポット参戦。2004年は全戦に参戦、シリーズランキング3位を獲得。2007年はダカール・ラリーのサポートカーであるミツビシ・デリカD:5をドライブした。また、FIAアジア・パシフィックラリー(APRC)には「チームMRFタイヤ(インド最大のタイヤメーカー)」からシリーズに参戦し、APRCシリーズチャンピオンをねらう。