
吉松 広彰
エボリューション I〜III
商品企画担当
1980年入社。 岡崎にて研究開発に従事したのち、86年5月より田町の三菱自動車工業株式会社本社に異動。88年より自ら希望してCD系ランサーの商品企画担当となる。ランサーエボリューションモデルの開発に力を注いだ。 走り好きで当時はミラージュカップレースの監督も務める。89年にはRACラリーを視察し、ランチャデルタの速さに圧倒されたという。ランサーはランサーエボリューションIIIまで手がけ、2000年よりコルトの開発を担当。コルトラリアートVersion-Rの生みの親でもある。
80年代、ギャランVR-4でWRCに出場していた三菱自動車だが、吉松氏はこの国際的なラリーの場所でランサーが活躍すれば、必ず一般ユーザーに対してランサーを強くアピールできると考えた。ギャランVR-4よりも軽量でコンパクトなランサーであれば、絶対にWRCで勝つことができると周辺を説き伏せ、参戦するために必要となるホモロゲの取得を目指し、開発を進めていった。
ランサーエボリューションは売れるのか、売れないのか。商品企画の担当であった吉松氏にとって、これがいちばん重要な課題だった。しかしフタを開けてみると、ランサーエボリューションのポテンシャルの高さが発売前から話題になっていたこともあり、ホモロゲを取得するために目標としていた2500台をたったの3日間で売り切った。しかもそれだけに終わらず、ランサーエボリューションを求める声が殺到。結局、当初の目標を大きく上まわる7000台近い数を生産した。
競技系ユーザーを中心に予想以上の好評を得たランサーエボリューションに対して、自然と次世代モデルの登場を待ち望む声が持ち上がった。周辺からの期待はさらに高くなり、「次はここをもっとこうしてほしい」といった性能に関する要望も多く寄せられた。そうした声に応えるように、タイヤサイズをひとまわり大きくして足まわりを進化させた「ランサーエボリューションII」が登場した。
WRCチームからの「空力面を改良してほしい」という要望と、一般市場で「もっとランサーエボリューションの存在感をアピールしたい」という考えを合致させ、新たに登場させたのが「ランサーエボリューションIII」だった。エアロパーツを装着して空力性能を高めたことで、一般ユーザーに対するデザイン的な商品価値を高める結果にもつながった。
ランサーエボリューションIIIでは、空力部分だけが改良の対象とされたわけではなかった。エンジンの圧縮比をそれまでの8.5:1から9.0:1へと高め、さらにタービン形状の一部を変更し、最終的に270馬力という性能を引き出している。各部分にわたって、これまでのモデルとしての集大成ともいうべき性能が持たされたのだ。
ランサーエボリューションIVの開発は、新たなチームによって進められる。つまり開発チームの世代交代ということなのだが、この新モデルには「AYC(アクティブ・ヨー・コントロール)」という旋回性能を高めるための電子システムの搭載を検討していた。理屈的には理解できていたものの、これまでのランサーエボリューションを育ててきた吉松氏としては、実際に体感してみないことには気がすまなかった。それで「まずは乗ってみてください」と言われ試作車に試乗したところ、そのハンドリング性能の高さに驚き、感動したのだ。吉松氏は、「この試乗体験があったからこそ、安心して新たなチームに開発を引き継いでもらった」と後に付け加えている。