
辻村 千秋
エボリューション IV〜VITME
開発プロジェクトマネージャー
1978年入社。入社後10年間は電装系の設計チームに勤務。その後87年よりCセグメント商品開発プロジェクトチームに移籍し、ランサーおよびミラージュの開発に着手。当時はC53/73系ボディだった。現在でも同じチームでランサーの開発を率いているが、エボIV〜VIはこの辻村氏が生み出した。20年近くランサーの開発を行っていることになる、まさにランサーのすべてを知り尽くした開発のスペシャリスト。
ランサーエボリューションIVは、ベース車ランサーのフルモデルチェンジに合わせて、大幅な変更を行わなければならなかった。すべてを新しくする必要があったが、それが逆にランサーエボリューションにとっては好都合となった。つまり、ラリーで走るのに最適なレイアウトを、最初からベース車に織り込んでおくことが出来たからだ。エボI〜エボIIIの実戦で得られた経験をベースに、エンジンやサスペンション、駆動系にいたるまで、すべてにわたって見直すチャンスだった。
ベースのランサーが振動の低減、軽量化などをねらってエンジンのレイアウトを逆転させることになった。そうなると当然ランサーエボリューションもベース車と同じ向きのエンジンにしなければいけない。ただしそうするには周辺のさまざまな部品を新たに作り直す必要が出てくるので、だったら一気にポテンシャルアップを図ってしまおうという発想になったのだ。エンジン関連の変更点は、ツインスクロールタービンを採用した点だ。排気系パーツもタービンに合わせて作り直し、トータルで280馬力のパワーユニットが完成した。
エンジンパワーが高まると、次に考えなくてはいけないのが駆動系だった。当時から三菱自動車の4WD技術は他メーカーよりも進歩していて、駆動系に関する色々な研究が行われていた。そのなかから生まれてきた技術のひとつがAYC(アクティブ・ヨー・コントロール)だった。どんな技術なのかを知るためにテストコースで体験走行をしてみると、回頭性、旋回限界性、ブレーキを踏んだときの車体の安定感、そのすべてに満足した。そこで開発チーム内では、ぜひこの技術をランサーエボリューションに利用しようということになったのだ。パワーを有効に使えてハンドリング性能も向上する、これまでとは次元の違う走りが実現できるAYCを搭載することが決定した。
ランサーエボリューションIVは新型のプラットホームとなったおかげで、エンジン性能を始めとする動力性能が抜群に向上した。しかし同時に、次のモデルでこれ以上速く走れるクルマを作るためには、シャシースピードで稼いでいくしかないということに。WRCチームからの強い要望があったトレッドの拡大をまずは視野に入れ、フロントサスペンションを倒立式にして剛性を確保。また225サイズのタイヤも装着することになった。ブレーキの強化については、モータースポーツで定評のあるブレンボ製のブレーキを採用することになった。
トレッドの拡大、タイヤやブレーキのサイズアップに伴い各部の軽量化を実施する必要が出てきた。フロントとリヤのサスペンション部品の材質を見直し、アルミ製部品を随所に盛り込むようになった。フェンダーやリヤウイングもアルミ製を採用し、トータルでかなりの重量減に成功した。また、パワーの増加とともに心配になるのが熱に関する部分。ラジエターやオイルクーラーを大きくするという手段はもちろんのこと、エンジン内部の水の効率的な流れにも配慮した。
ランサーエボリューションVの段階で、ある程度速さは完成型に近づいたという実感があった。そこで次にねらったのが、さまざまな部分でのレスポンスアップだった。世界で初めて量産車に搭載したチタンアルミタービンを筆頭に、フットワークの部分においてまで、レスポンスを追求していった。
1996年から1999年まで、WRCではトミ・マキネンが4年連続のドライバーズチャンピオン獲得という偉業を達成した。こうしたマキネンの活躍がなければ、ランサーエボリューションの名前がここまで世界中で知られることにはならなかったはず。「彼の名前をぜひランサーエボリューションの歴史に残したい」と考え、トミ・マキネンモデルを制作することが決定。最初はシートにマキネンの名前の刺繍を入れるとか、ボディにエンブレムを貼り付けるとかのレベルで進んでいたのだが、結局それだけでは開発者としての気持ちが満たされず、新しいことにチャレンジすることへとつながった。
ランサーエボリューションVI TMEの開発では、「ターマックで速い」をコンセプトにした。車高10ミリのローダウン、ステアリングギヤボックスの改良、そしてチタンタービンのブレード形状変更など、さまざまな部分に手を加え、ターマックで走りやすい、レスポンスのいい動きを追求した。
当時はよく、トミ・マキネンや国内のラリードライバーなどに岡崎まで来てもらい、彼らの走りを見たり自分たちの開発しているクルマに乗ってもらったりしながら、さまざまな意見交換を行っていた。そういう意味で、ランサーエボリューションはモータースポーツとともに歩んできたといっても過言ではない。そこで学んだことを市販車へフィードバックすることが自分たちの仕事であると考えていた。